News2008【善光寺阿弥陀如来像】
快慶作か-善光寺の阿弥陀如来立像、信濃町に由来示す史料
善光寺所蔵の阿弥陀如来立像
善光寺(長野市)が所蔵し、鎌倉時代の仏師快慶の作品である可能性が高いとみられている阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)が、江戸時代の一時 期、上水内郡信濃町の誓信寺にあったことを示す古文書が、同町内で見つかった。同寺創建後、善光寺大本願から譲り受けたと記されている。誓信寺が明治時代 初めに廃寺になり、立像は善光寺に戻ったようだ。
善光寺事務局は「立像の由来を解明するための貴重な史料」(若麻績信昭寺務総長)と説明。調査のため東京芸大に移している立像を来春の御開帳期間中に展示する際、古文書も並べる考えだ。
古文書は、信濃町柏原の中村忠洋さん(65)が保管する「柏原根元(こんげん)録」。江戸初期に同町で宿場を開いた中村六左衛門家や宿場の歴史などを、江戸後期の文政11(1828)年に10代目当主がまとめたとされる。
立像の台座裏には、文化12(1815)年に信濃町の中村六左衛門が修復したとの説明書きがある。中村さんは、立像が快慶作か-と報じた信濃毎日新聞の11月22日付記事でそのことを知り、この六左衛門が根元録をまとめた10代目ではないか、と推定した。
同町にある一茶記念館の協力で根元録を読み返し、6代目が1716年ごろ、出家した三男のために町内に誓信寺を創建、2代目住職が大本願住職の上人から阿弥陀如来像を本尊として譲り受けた、との記載を見つけた。
また、信濃町誌などでは、誓信寺が1873(明治6)年に住職不在で廃寺になり、立像は大正以降に善光寺に移ったとされていることも判明。中村さんは善光寺事務局を訪れ、台座裏に墨書された六左衛門の署名が10代目の筆跡に似ていることも確認した。
一方、根元録には立像について「恵信の御作とも運慶の作とも」との記述もあった。恵信は浄土教を広めた僧侶源信とみられ、運慶は快慶と同時期に活躍した 著名仏師だが、県文化財保護審議会委員の武笠朗(むかさあきら)・実践女子大教授(日本彫刻史)は「源信は仏師でなく、運慶の作でないことは作風で明ら か。誰が作ったか分からない場合、2人の名前はよく用いられる」としている。
立像は2003年ごろから善光寺境内の史料館で一般公開されるまで、本堂一角の部屋に長年保管されていた。このため、廃寺などから持ち込まれた「客仏」 との見方もあった一方、現在の上水内郡中条村で「南無阿弥陀仏」の声が聞こえた土の中を掘った際にこの仏像が出現した、との言い伝えも残っている。
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